サチコ&マーボーのあゆみ ~サチコ編~

プロローグ:わたしの「土台」(不定期更新)

父は公務員、母は祖父母と農業を営む、ごく普通の家庭に生まれました。
祖父は浪曲をテレビで見るのが好きで、わたしも時々は一緒に見ていました。
祖母は歌謡曲や流行歌をたくさん知っていて、わたしにもよく教えてくれました。
父は映画音楽や聖歌が好きで、和洋折衷たくさんのレコードを聞かせてくれました。
母はカラオケで歌い、畑や台所からは鼻歌がいつも聞こえていました。

当時(昭和50年代)は歌番組も充実していたので、家族みんなで見ていたものです。

このように、さまざまな時代・ジャンルの音楽を、幕の内弁当のように
バランスよく体験できる家庭でいろいろな音楽をのびのびと吸収して育ちました。

やがて姉が近所のピアノ教室に通い始め、家で練習しているのをよく眺めるようになりました。
姉のレッスン曲を聞き覚えてはこっそり真似して弾くのが楽しかったのを覚えています。

じつは、その時点ではわたしがピアノを習う予定はなかったらしいのですが、
小学校入学と同時に、わたしも姉と一緒にピアノ教室に通うことになりました。

「おねえちゃんが弾いてた曲を、わたしも教えてもらえる!」

嬉しさいっぱいに門を叩いたピアノ教室ですが、まさかここで人生最初にして
最大の挫折を味わうことになろうとは、6歳のわたしには知る由もありませんでした。

当時の先生(というか、ピアノ教室の運営母体)は、「譜読みが完璧にできる」ことと
「間違えずに弾く」ことを重要視していたようで、その両方苦手だったわたしには、
先生もかなり厳しかったです。しまいには、レッスンのたびにボヤかれる始末。

「さっちゃんは、なかなか上手にならないね。なんで?」とため息をつかれ、
「ミスタッチばかり!」と、楽譜いっぱいに赤鉛筆で「ミスタッチ!」と書かれ、
「こんなに上達しない子は初めて。どうしましょう。」
(どうしましょう…って、それはわたしが言いたかったよ、先生。)

お手本を弾いてくれた曲はすぐ弾けていたのですが、それに気づいた先生から
「それでは譜読みの力がつかない」という理由で封印されました。
もはや嫌がらせ(苦笑)。

家での練習や、聞こえてくるたどたどしい音を聞いた父からも、こう言われました。

「楽譜もテキストも見ないで(姉の)真似をして弾いていたから、
ひょっとしてすごい才能なのではないかと思ったんだがな。」

・・・そうか、「だがな」ってことは、お父さんがっかりしてるのか・・・

「ちがうの、おねえちゃんみたいに、自分も楽しく弾きたいだけなんだよ」

なんてことは今ならきっと言えますが、当時はピアノ教室も先生も、いや誰よりも
父が怖かったので反論もできませんでした。
一向に上達しないわたしがいけないんだ、とも思っていました。

かくして、レッスン進行も例を見ない遅さで進むうちに時が過ぎてゆきましたが、
じつは10歳くらいから「ささやかな反乱」はしていました。

家では、練習してますよ~と見せかけて(主に家族不在時を狙って)
ピアノ教室で聞き覚えた練習曲(ブルグミュラー、ソナチネ、など)や、
歌番組で流れたヒット曲、そのほか「カッコイイ!」と思った曲を片っ端から
聞き取って「再現」してはひとりで遊んでいました。
皮肉なもので、先生の思惑とは正反対の方向、耳コピーの技術はぐんぐん育っていったのですね。

ベートーヴェンの「ソナタ14番・月光」や、天気予報のバックに流れる
題名も知らない曲を弾いてみたり、
8時だヨ!全員集合のオープニングからエンディングまでひとりで弾いて歌ったり、
「ザ・ベストテン」なんて毎週ランキングが入れ替わるので、新しく歌を覚えるのが
それはもう楽しくて仕方ありませんでした。
この頃は、まだ伴奏部分のみの再現でしたが、頭の中では歌が鳴っていたので、ひょっとしたら
弾き語りもとっくに出来ていたのかもしれません。
全校合唱や音楽会で上級生が歌った合唱曲の伴奏も、家で弾いていました。
とうとう人前で弾くことはありませんでしたが。

高学年になっても、ピアノ教室に行くのは相変わらず苦痛でした。
ピアノ教室といえば、お稽古の成果を披露する発表会のようなお披露目の機会があるものですが、
わたしに関しては6年間発表会のハの字もなく、とうとう発表会には出ずじまいでした。
グレード試験(級認定)も受かったり落ちたりで、最後どれくらいだったのか覚えていません。
あ、でも課題曲は今も弾けます(笑)。
他のピアノ教室に通っていた同級生が、「発表会に着るワンピースを買ってもらった」と
話しているのを、ちょっとさびしい気持ちで聞いていたものです。

ただ、お友達や姉の「新ネタ」を覚えるのは楽しかったので、
それでなんとか持ちこたえたようなものですが、
先生、よほど嫌気がさしていたのでしょう。
6年生の2学期あたりから、レッスンのたびにこう言うようになりました。
「中学に行ったらやめるよね」「続けないよね」というネガティブキャンペーン。
いやいや、ありえないでしょう。
普通は「頑張ろうよ」とか「続けようね」じゃないのか?
(続ける意欲など殆どありませんでしたが、その半年でトドメを刺されました)
かくして「両想い」が実り、小学校卒業で苦痛なレッスンからも卒業!
バンザイ!先生、背中を押し続けてくれてありがとう。

ピアノのレッスンから解放されて、楽しい中学生ライフを満喫するかと思いきや、
中学生になって早々、今度は学校生活で躓きました。
言葉が過ぎて相手を傷つけたり、言動・行動が原因で孤立してしまいました。
クラスメイトと打ち解けられず、学校には行っていたけれど「心はひきこもり」。
そのうえ、腰椎の疾患で入退院を繰り返すようになったので、
ますます自分の殻に閉じこもるようになってしまいます。
そんな娘の状況に心を痛め、それでもわたしのために奔走する両親、
家族を思いやる心の余裕は、当時のわたしにはありませんでした。
当然、音楽を楽しむことからも遠ざかっていました。

そんなとき、入院先の病院に実習に来ていた看護学生さんたちと仲良くなり、
ひとりの学生さんが「これ、いい歌だから聞いてみて」とカセットテープを
貸してくれました。

松任谷由実さんの「ノーサイド」というアルバムでした。

初めて聞いたユーミンの声。
音色、ハーモニー、都会的なアレンジ。なにもかも新鮮でした。
こんなステキな音楽があったんだ。知らなかった。
まだまだこの先、こんなステキな出会いがあるのかもしれない。人も、音楽も。
そう感じてから、わたしも少しずつ変わっていきました。

(つづく)

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